「君は愛されるために生まれた」という曲は、韓国人のイ・ミンソプという牧師が作詞作曲をしたキリスト教音楽です。もともと韓国語っだた歌詞を日本語に翻訳をしたのがこの曲ですが、キリスト教を信じていなくても誰でも1度は聞いたことがある曲だと思います。
「君は愛されるために生まれた」という歌詞を聞いて、「当たり前の話だな」と思える人は、間違いなくとても幸せな人生を生きてきた人です。また、この曲を聞いて涙を流す人も多いそうですが、それは今まで親や誰かから受けてきた愛情を、この曲を通して改めて実感するからだと感じます。
「君は愛されるために生まれた」の意味は?
曲の歌詞全体を見ると、母親が自分の子供が存在することの喜びと、祝福の言葉を子供に語りかけているように思えます。ひょっとすると母親ではなく「父親」なのかも知れませんが、やはり母親の愛というのが「無条件の愛」や「慈悲の愛」の象徴なので、母親の気持ちの世界であると感じるのだと思います。
しかし、ここでもう1段階も2段階も歌詞に広がりがあるのは、「君」というのは特定の誰かではなく、私にもあなたにも当てはまりますし、「人間」であるかぎり全ての人に当てはまるからです。
ひょっとすると「わたしは愛されている実感がない」とか「愛されるために生まれたと思えない」と考えている人もいるかも知れません。しかし、この世の中をよく見てください。誰の頭の上にも太陽の光や恵みの雨は平等に降り注いでいますし、誰も飢えることがなく、毎日の食事が当たり前のように与えられ続けています。
愛というのは目に見えないものであるので、それを十分に受け止めるためには、私たちの「心の器」を強くイメージして、その愛を受け止めなければなりません。わたしが今ここに存在することができているのは、わたし一人の力でそうなったのではなく、必ず誰かがわたしを助けてくれて、はげまし、支えてくれていたからなのです。
あなたが今ここに存在しているということは、「はじまり」に「誰かの愛があった!」ことに間違いがありません。なぜならば「愛」が全ての生命のはじまりの原因であるからです。そして、「その愛を今もなお受け続けている」のです。それが「君は愛されるため生まれた」ことの本当の意味となります。
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