死後の世界はあるのか?死後の世界はあるという証拠と根拠をハッキリと説明します!!!!

スピリチュアル
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死後の世界はあるのか?という疑問は、人は誰でも一度は考えるものです。科学が発展していくなかで解明されると思っていましたが、結論としては、科学では解明できない、ことが分かっただけでした。実はこの問題は哲学的な方法でしか答えられません。死後の世界はある、という証拠と根拠をハッキリと説明します。

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ビックバンは偶然起こったのか?誰かが起こしたのか?

死後の世界はある、という証拠と根拠は、当たり前ですが、死後の世界を研究して分かるようになるわけではありません。なぜならば、私たちは死後の世界について何も知らないからです。

ただ、スピリチュアルの世界では、死後の世界から生きている人たちに直接メッセージを送って、死後の世界の構造やルールなどを教えていると説明しています。しかし、その内容には科学的な証拠や根拠はないので、今回の記事では触れないようにします。

哲学的なアプローチでは、死後の世界を考えるために、いま私たちが生きている「宇宙」について考えます。重要なのは宇宙には「はじまり」があったのか、なかったのか、という疑問です。天文学では「ビックバン」という大爆発によって、宇宙ははじまった、と説明します。

では、そのビックバンは「偶然おこった爆発なのか?」「誰かが爆発をおこしたのか?」という疑問がわきますが、大きく2つに説が分かれます。偶然おこった、というのはホーキング博士という人の説で、誰かがビックバンをおこした、と考えるのは、特に、聖書を信じている宗教の人たちです。

どちらがより証拠と根拠のある説なのかを考える時に、重要なポイントになることがあります。それは、「宇宙の中から太陽系のような銀河が生まれ、地球のような星が生まれ、生命体が生まれ、植物が生まれ、動物が生まれ、進化を続けて人間になる」ことが、どれほどの「確率」なのかということです。

これは確率でいうと、何億、何兆分の1よりもさらに、何兆分の1よりも少ない可能性だと言えます。

ホーキング博士のビックバンは偶然おこった、という説は、この世界にはビックバンのような爆発が無限におこっていると考えます。そのため、星が生まれ、生命が生まれ、人間まで進化する確率が無限に低かったとしても、そもそも爆発が無限に起こっているため、1つくらいそういう地球のような星が生まれてもおかしくないと主張します。

「だからこの宇宙は偶然に存在しているし、人間というのはただ動物が進化しただけの存在だ!」というのが、いわゆる無神論者や死後の世界はないと主張する人たちの代表的な考え方です。しかし、そもそも、私たちが住む宇宙以外のところでもビックバンが無限に起こっている、というのはホーキング博士の想像でしかなく、観測されたものではないため、なんの証拠や根拠もありません。

では哲学的にどのように考えるのがスッキリとするのかというと、誰かがいま私たちが住んでいる地球や人間を中心とした動物などを、綿密な設計図を作って構想したうえで、ビックバンという爆発を「天地創造」のために起こした、という考え方です。

例えば、太陽や地球や月は、自転と公転を繰り返しながら、宇宙空間のなかでバランスを保ち、存在しています。また、動物は酸素を吸い、二酸化酸素を吐き出し、植物はその二酸化炭素を吸い、酸素をはきだします。鉱物は法則的な原子の並びを持ち、動植物は法則的なたんぱく質やDNA構造のなかで存在しています。

これらのものは、偶然、そういう風になった、と考えるよりも、「誰か」がそうなるように「設計」をして、その通りになるようにビックバンをおこし、作り上げた、と考えるほうが科学的だと言えます。なぜならば、偶然にいまのような宇宙になる確率が、絶望的にありえない低い確率だからです。

では、そのビックバンをおこしたのは誰なのか?というと、科学では「サムシンググレート(Something Great)」と呼びます。宗教では普通に「神」と呼びます。仏教では、宇宙ははじまりはない、と考えるため、「仏」がビックバンを起こしたとは考えません。

結論として、ビックバンを起こしたのが神であるならば、死後の世界も存在する、という論理になります。なぜならば、神は天使という、神と共に永遠に生きる霊的な存在を作りました。そして、人間は「神の子」という天使以上の位置の存在として創造されています。当然のことですが、霊的な素材を土台として、人間の魂が永遠に生きるための死後の世界を、神が準備していないはずがありません。

しかし、神が存在するならば、なぜ不幸な人がいるのか?戦争が起こるのか?悪人がいるのか?など、さまざまな別の疑問があると思いますので、それらを整理するために、いったん別の角度から、今度は「人間」について説明していきます。

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人間はどこを目標として進化しているのか?

死後の世界はあるのか?という疑問と同じ意味を持っているのが、人間には魂があるのか?という疑問です。人間に魂があることがハッキリと分かれば、死後の世界はあるという証拠と根拠になります。

しかし、私たちは自分の体のなかに、魂があるとも、無いとも、科学的に証明ができないことだけが分かっています。人間の魂の有無も、哲学的にしか説明をすることができません。

人間を哲学的に理解する時に、大きな助けとなったのは進化論です。進化論はダーウィンという科学者が、自然界を観察することによって発見した考え方です。環境に対して有利な特徴を持った動物が、遺伝子の突然変異によって生まれ、弱い動物は淘汰されながら、どんどんと動物が高度になっていく、という考え方です。

動物のサルなかでも、環境のために、4本足でなく2本足で歩くサルが生まれました。そして、二本足で歩くことによって腕が自由になり、手を器用に動かすことによって、そのサルは脳が大きくなりました。脳が大きくなることによって言葉がしゃべれるようになり、やがて言葉を土台として文化を作っていったのが人間です。これがダーウィンの人間の進化のストーリーです。

手先が器用でないサルは、生存競争にやぶれて消滅し、手先が器用なサルが脳が発達し、人間に進化をしたと考えることができます。

ダーウィンの進化論はここまでですが、神が人間に対してビックバンの前から設計し、進化の計画を立てていたとすると、人間の進化論にはまだ続きがあると考えることができます。

それは何かというと、ひと言でいうと「自分よりも他を優先する人格」です。例えば、ひと昔前まではお金持ちというと、バブル経済でひと儲けをした頭のはげたおじさん、という悪いイメージがありました。しかし、今では、性格や人格の良い人が、多くの人からの信頼を得て、お金持ちになっています。社会自体が、より本質的な価値をもとめる社会に変わってきているのです。

自分よりも他を優先する人格の代表といえるのは、キリスト教で信じられているイエス=キリストです。複雑な教義の内容はありますが、簡単にまとめると、イエスは人類のために自分の命までをも十字架の上で犠牲にしました。人類はそのイエスのアガペー愛に衝撃と感動を受け、イエスが生まれる前を紀元前、生まれた後を紀元後として、文化の中心とするようになりました。

イエスの肉体は十字架の上で滅びましたが、その魂は永遠に存在し、父なる神の横にいまでも存在し続けていると言われています。このストーリーを進化論で考えると、自分の欲望にしか関心のなかった人類のなかから、自分よりも他を優先する人格を持ったイエス=キリストが、突然変異のように生まれた、と見ることができます。

そして、イエスは33歳という若さで亡くなってしまいましたが、イエスが示した言動は多くの人たちに感化を与え、自分の命を捨ててでも、イエスのような生き方をしたい、人格を持ちたい、というムーブベントを起こしました。それがキリスト教の始まりですが、そのキリスト教精神を持ったアメリカやヨーロッパの国々が、現在の世界のなかで先進国となって世界をひっぱっています。

神の人間に対する計画と目標は、肉体と魂の関係について考えるとハッキリと理解できます。肉体が持っている「本能」という性質は、どこまでも自分の命を守ろうとし、自己中心的です。なぜなら、自分の生命を、何を優先してでも維持しないといけないからです。

反対に魂というのは神の性質に近く、自分よりも他を優先する性質を持つことを理想とします。どうして「理想とする」と表現したかというと、生前に肉体の欲望のおもむくままに、自己本位に生きた人は、魂が成長することができないからです。結局、魂が自己中心のまま、死後の世界に旅立ってしまいます。

死後の世界は神の性質のような世界であると考えられるため、結局、愛が空気であり、水であり、食べ物である世界です。そのような世界に、自己中心しか知らない魂が飛び込んでいくと、たちまちその魂は愛の海におぼれ、呼吸ができずに窒息してしまいます。その状態のことを地獄と呼びます。

それでは、この節の最初に話した、神が存在するならば、なぜ不幸な人がいるのか?戦争が起こるのか?悪人がいるのか?という疑問の答えを説明したいと思います。まず、神は人間という種を生み出すために、ビックバンを起こし、地球を作り、生物を生み出し、人間にまで進化をさせました。これは神の創造ということができます。

生みだされた人間の当初は動物の本能の要素がつよいために、自己中心的だった、と言えます。神は人間が肉体の性質よりも、自分よりも他を優先する魂の性質を持つように、さらなる人間の進化の計画を立てていました。しかし、そういう人格の成長というのは「人の営み」の中でしかなされないために、神はその進化に対しては「創造」することができず、助けとなる人を送り、「応援」するしかないのです。

人類の歴史を振り返ると、人間は何十万年という時間をかけて、魂を進化させてきました。紀元前の時代では、人の命を奪うことが悪という考えがありませんでした。人間は2回の世界大戦の犠牲を通して、奴隷制度と植民地をこの世から無くしました。そして、戦後には基本的人権を生み出しました。そういう本質的な社会のなかで、自分よりも他を優先する人格の人は経済的にも豊かになり、子孫を生み増やしています。反対に、自分中心しかない人は貧しくなり、社会的に淘汰される風潮にあります。

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神が人間の親だとすると、子供が消滅するのは耐えられない

最後に、少し観点を変えて、心理学から、死後の世界はあるのか?について、死後の世界はあるという証拠と根拠を説明したいと思います。

心理学で最も有名なのはフロイト博士ですが、フロイトは人間の本質を「親子の関係」と分析しました。特に幼少期に親子関係に問題があると、一生の間、人間関係に困難をかかえると、さまざまな精神患者の治療を通して証明しています。

宗教を信じる人は神のことを親である、と考えますが、これは神が人間を創造した、つまり生んだので、親であると信じています。聖書には、神は人間を自分の似姿として創造した、と書かれています。その文章から推測すると、神にも人間と同じような喜怒哀楽の「感情」があると考えられます。

聖書のなかで、天地創造が進むたびに「良し!」と言って、神は喜ばれたと書かれています。反対に、地上で人間が罪にまみれていると、神は怒りや悲しみの感情を強くあらわしています。

もし、死後の世界が無かったとすると、人間は命が尽きると消滅してしまうことになります。それはもし、神が人間の親であるとするならば、耐えることのできない悲しみになります。

人間は子供はもちろんのこと、愛するペットが亡くなった時でさえ、精神状態を崩し、悲しみにくれることが多くあります。人間に魂が存在せず、消滅するとするならば、心理学的に考えると、神は永遠に別れを体験し、悲しみに耐えることができないことになります。これが死後の世界があるという根拠です。

哲学的に考えると、神と人間の魂と死後の世界が似た特徴を持ち、利他的という共通点を持っています。反対に、人間の肉体と私たちが生きる世界と動物的本能が似た特徴を持ち、自己中心的という共通点を持ちます。

ビックバンが偶然に起こったのではなく、サムシンググレートによって計画的に起こされたとするならば、神が存在し、人間の魂が存在し、死後の世界がある、という論理になります。長くなりましたが、以上の説明が、死後の世界はあるという証拠と根拠です。

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