無償の愛が怖い原因とは?無償の愛がわからない、難しい人が、愛することができる3つの方法!!!!

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無償の愛とは、愛した見返りとして何かを要求する愛ではなく、見返りを求めない、無条件の愛のことを言います。無償の愛に出会ったときに、怖いと感じる人は実は多く、無償の愛で愛する人の気持ちが分からない人が多くいるようです。無償の愛というのが難しい人が、愛することができる3つの方法について紹介します。

無償の愛とは何か?

無償の愛として、世界で最も代表的なのは、キリスト教でいう神のアガペーの愛です。なぜ無償の愛なのかというと、神が人間の親であるので、親から子供への愛は、当然、無条件であるという理由になります。

スピリチュアルについて理解すると、アガペーの愛とは何かが分かりますが、そういうことを考えたことがない人にとっては、全く理解ができないと思います。無償の愛が怖いというのは、そもそもそれが何かわからない、得体が知れない、というのが大きな理由です。

無償の愛が難しいのは、そもそもの根本がキリスト教にあるからです。しかし、もう1つ、無償の愛を代表する愛が、世の中にはあります。それは何かというと、肉親の「親の愛」です。

親の愛が無償の愛だと言ったときに、それは当然そうだ、と思う人もいれば、とてもそうとは思えない、と感じる人もいて、千差万別です。親が子供を無償で愛する理由があるとすれば、親だから、血がつながっているから、自分が産んだから、などが挙げられます。そのすべての理由には、親が無償で愛さなければならない義務はないので、そういう理由で愛するならば、無償の愛であると言えるのでしょう。

無償の愛が怖い原因とは

無償の愛が怖い真の原因はとても深刻で、それは自分の親からも、無償の愛で愛されたという実感がほとんどないからです。逆にいうと、それほど無償の愛というのは貴重なもので、幸運にも無償の愛を多く受け育った人は、眼光が生き生きとし、自信に満ち溢れ、輝くような美しさを持っているので、一目でそうだと分かります。

私たちが共通して不幸なことは、私たちがお金を中心とした社会で、当たり前のように生きていることです。お金というのは交換を条件とするため、私たちは愛に対しても、何かと交換をするのが当然だと考える部分があります。

親からの愛も同じようなところがあり、例えば子供が大人になれば、今まで育ててあげた恩として、老後の世話をしてくれることを期待して、子供を一生懸命に愛する親もいます。ただ、それは特別なケースで、大部分の原因は、親が子供が無償の愛と感じる愛の形が分からないために、親が子供を愛したとしても、ほとんどそれが愛として子供に伝わらないからです。

子供が欲しい愛の形というのは、例えばスキンシップであったり、大げさな誉め言葉などの愛情表現であったり、どんなに悪いことをしても、自分の行動を100パーセント受け入れてくれる愛の器だったりします。とくに日本では、しつけ、というのが親の大きな役割であるため、そういう情緒的な内容が大きく欠けがちです。

しかもそこに、何か少しでも、子供が虐待と感じる何かが、一つでも加わったとすると、子供の親に対する信頼は一気に崩れてしまいます。それは同時に、その子供が、愛そのものに対して、信じることができなくなります。

結局、無償の愛というものに、人生を通してほとんど出会ったことがないため、もし無償の愛を与える人が現れたとすると、無償の愛が怖いと感じてしまいます。そして、厳密にいうと、その出会った無償の愛も、詐欺や、たとえ純粋であったとしても、一時的な恋愛感情である可能性がとても高いです。

無償の愛がわからない、のが普通ですが、無償の愛が難しい、と感じられる人は、逆に、人生のステージを1段階上がった人だと言えます。例えばことわざに、情けは人の為にあらず、という言葉があります。これは多くの人は、情けは人の為にならない、と間違った意味で記憶しています。

情けは人の為にあらず、の本当の意味は、あなたの与えた情けは、その人の為のものというよりは、周りに回ってあなたのもとに帰ってくるものなので、結局は、人の為ではなく、あなた自身のためだ、という内容になります。

愛を人に与えると、周りに回って自分に返ってくる、という理由が分かる人は、無償の愛が分かる人です。なぜ理由が分かるのかというと、そういう経験があるからです。そして、愛が返ってくることは、自分で選択できるものではないことも分かっているために、無償の愛で愛することは難しいと考えています。

無償の愛で愛することができる3つの方法

それでは、無償の愛が怖い、わからない、難しいと考える人が、無償の愛で愛することができるようになる方法を紹介します。

①見返りなど何も考えず、相手の立場や気持ちになって、何かをしてあげる

たとえば満員電車で、自分が座っている席を、おばあさんに譲ろうと考えたとします。しかし、席をゆずったとしても断られるのではないのか、周りの人は自分を偽善者と思うのではないのか、おばあさんは次の駅で降りるのではないのか、など、さまざまなマイナスな考えが沸いて、結局、譲らなかったということはよくあることです。

ここでのポイントは、他人のことなどをいろいろと考えてしまって、自分の行動が止められてしまっていると言うことです。アドラー心理学では、自分の役割と、相手の役割、という風にそれを分析していて、自分が相手の役割を侵害しているため、自分の役割を果たすことができないと表現します。

無償の愛で愛するためには、相手に何かしてあげる、という、自分の役割だけに集中することが大切です。相手がどう思うのか、というのは、相手の役割であるため、究極的に、相手の役割というのは、自分の人生とは何の関係もないと割り切るべきです。

もともと無償の愛というのは、ボランティア活動のようなもので、無償であるので無償の愛といいます。見返りがないばかりではなく、逆に誤解されて、自分にとって損害になるかも知れません。しかし、そういうことを考えると、一歩も行動ができなくなりますので、いったんは何も考えずに、相手のために何かしてみる、人生経験や実験だと思って、一度やってみることが大切です。

②何かをしてあげた後の、自分の気持ちの変化に敏感になる

無償の愛が怖い、わからない、難しいと思いながらも、そういった気持ちを乗り越えて、誰かに何かをしてあげたとします。普通、よくあるパターンとしては、ありがとう、と感謝をされ、気分が良くなったり、相手の喜んでいる笑顔を見て、自分もうれしくなったりします。それが無償の愛を与えられるようになる、第一歩だと言えます。

しかし、それだけでは、無償の愛を与え続けることはできません。

なぜかというと、その相手を中心とした現象だけに関心がある人は、何かをしてあげた相手の反応に依存してしまうからです。たとえば、自分が何かをしてあげて、たまたま相手の反応がなかった場合があったとします。すると、何か相手に裏切られたような気持ちになり、その人も含めて、もう一度誰かに、何かをしてあげようというモチベーションを失ってしまいます。

それではどうすれば良いかというと、相手の反応ではなく、自分の気持ちの変化に敏感になる必要があります。

人間の心には良心というものが存在します。そして、その良心の要求のごとくに、自分が言動することができれば、誰に感謝をされなくても、たとえ誤解を受けたとしても、自分の心は満足感や喜びを持っています。

たとえば、困っている人、助けを求めている人がいて、もしそれに気付かないふりをして、何かしてあげられるのに、何もしなかったとします。その時には、誰も自分を責めるひとはいないのですが、自分の心を分析すると、自分のテンションが下がっているのを感じると思います。

それは良心の呵責を感じているからです。逆に、困っている人を助けてあげると、たとえその人が感謝の言葉をくれなかったとしても、善いことをしたという行動自体が、自分自身に自信を与え、プラスのエネルギーを与えていることに気づくと思います。

③相手にしてあげたことが、全く違う形で自分に返ってきていることを実感する

無償の愛が怖い、わからない、難しいと感じる人を後押しする考え方として、ビジネスでよく教えられる内容ですが、鏡の法則、というものがあります。これは、周りの環境や人間というのは、自分を写し出す鏡である、という考え方です。

たとえば、会社などで、普段から自分の上司、同僚、部下に対して、親切に接したり、責任感を発揮したり、助けてあげたりしているとします。すると当然のことですが、その自分の態度が噂となり、評価となって、会社から信頼を受ける結果になります。結局のところ、自分の普段のそういう行いが、出世や昇給などとして自分に返ってくることを、ビジネス学では説明しています。

そういった愛の流れのようなものは、少なくとも、自分だけに関心を持っていると絶対に感じることはできません。人間社会の影響というのは、実はとてつもなく大きく、自分の言動というのは、自分が知らない人まで知っていて、自分の身の回りの環境にいつも影響を与えています。

また、そういう経験は、無償の愛を1つか2つ与えたからといって、すぐに実感できるものではありません。たとえが適切か分かりませんが、パチンコやパチスロなどの娯楽器具のように、莫大なコインを投入してこそ、リーチがかかり、大当たりとなって、莫大な見返りを受けることができます。

世の中のいわゆる成功者、といわれる人たちは、この法則をよく知っているため、当然のように、無償の愛を何らかの形で与え続けています。そして、当然のように世の中から見返りを受け、成功者となっているのです。

無償の愛が怖いという感覚は、それに対する経験がないからです。自転車に乗ったことがない人が、自転車に乗ると怖い、という感覚に似ています。まずは身近な人から関心をもって、その人が求めていることを察知し、それをそのまま勇気をもってやってあげましょう。

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