聖書というのは人類の中で最も読まれている本ですが、その一番最初は創世記と呼ばれる神の天地創造の話しです。そこでアダムとイブという人類の先祖が神によって作られますが、残念ながらアダムとイブは神の戒めをやぶり楽園を追放されるという、失敗によって人類の歴史はスタートします。人類は何の罪を犯したのか、聖書の秘密を紹介します。
聖書の創世記の失楽園のあらすじ
神は最初に、美しい庭園を作りました。この庭園の名前は「エデンの園」といいました。エデンの園には、たくさんの美しい花や木々があり、動物たちも幸せに暮らしていました。
そして、神は最初の人間であるアダムと、アダムの妻であるイブをエデンの園に住まわせました。彼らは神が作ったすべてのものを楽しむことができましたが、ただ1つだけ守るべき規則がありました。
神は言いました。「エデンの園のどの木からも食べていいけれど、知識の木の実だけは食べてはいけません。その木の実を食べたら、必ず死んでしまいます。」
しかし、ある日、ずる賢いへびがイブのところにやってきました。へびは言いました。「神は本当にあなたたちにその木の実を食べさせないのは、あなたたちが神のようになることを恐れているからだよ。」
イブはへびの言葉に誘惑され、ついつい知識の木の実を取って食べてしまいました。そして、アダムにもその実を分け与え、彼も食べてしまいました。
すると、アダムとイブは自分たちが裸であることに気づき、恥ずかしくなりました。彼らは罪を犯したことに気づき、神の前から逃げ出そうとしました。
神は彼らを捜し出し、罰を与えました。アダムとイブはエデンの園を追放され、もう戻ることはできませんでした。彼らはこれから苦労しながら暮らさなければならなくなりました。
スピリチュアルの観点から解釈すると、失楽園の物語は、人間が神の命令を守らずに罪を犯したことと、その結果として人間が罰せられたことを教えています。
エデンの園での神の戒め
神の戒めは、アダムとイブに対して与えられました。神は言いました。「エデンの園のどの木からも食べていいけれど、知識の木の実だけは食べてはいけません。その木の実を食べたら、必ず死んでしまいます。」
聖書の創世記には知識の木の実は、正確には「善悪を知る木」の実と書かれています。もし食べると神のように善悪の知識を知るものとなる、という意味です。
この戒めの意味は、神がアダムとイブに与えた特別な命令です。エデンの園にはたくさんの美味しい果物の木がありましたが、知識の木の実だけは食べてはいけないということです。
神はアダムとイブに、知識の木の実を食べると死んでしまうと警告しました。これは、神が人々を守るために与えた大切な指示でした。
善悪を知る木の実とは何か?
聖書の最大の謎の1つが、この善悪を知る木の実が何か?という疑問です。有力な説として、リンゴ、という解釈があります。
しかし、「善悪を知る木の実がリンゴ」という解釈は、聖書の物語には直接的な根拠がないものです。実際に、聖書の記述では果実が具体的に何であったかは明示されていません。そのため、「善悪を知る木の実がリンゴ」という表現は、宗教的な伝承や芸術作品によって広まった民間伝承やイメージの一部として、一般的に認識されるようになりました。
「リンゴ」という果実が関連付けられる要因として、以下のような理由が考えられます。
- 西洋の文化におけるリンゴの象徴性: 西洋の文化において、リンゴは知識や認識の象徴としてしばしば言及されてきました。たとえば、ニュートンの物理学の発見を伝える有名な逸話で、リンゴが落ちて万有引力を発見したとされています。
- ラテン語の誤解: ラテン語で「リンゴ」を意味する「malum」と、「悪」を意味する「malum」という単語が似ているため、混同された可能性があります。この誤解が広まったことで、「善悪の実がリンゴ」という解釈が生まれたとされています。
ただし、リンゴが善悪を知る木の実であるという明確な根拠はなく、宗教学や聖書学の専門家は様々な果実の可能性を指摘しています。したがって、「善悪を知る木の実がリンゴ」という解釈は、文化的な伝承やイメージに由来するものであり、聖書の記述そのものではありません。
もう1つの解釈は、善悪を知る木というのが何かの象徴である、ということです。エデンの園にはアダムとイブがいて、同時に命の木と善悪を知る木、がありました。それを比較して考えると命の木はアダム、善悪を知る木はイブ、を象徴していると言えます。
では、木の実は何を象徴するのでしょうか?木の実というのは種を宿して新しい命を繁殖するものです。これを人間に当てはめると「性器」を象徴していると解釈できます。そのため、アダムとイブが木の実を食べ、神の戒めを破ったと自覚した時に、イチジクの葉で罪を犯した原因となった「下半身」を我知らず隠しています。
アダムとイブが犯した罪の根とは何か?
ではアダムとイブが下半身や性器を使って犯した、人類の罪の根と言われる原罪とは何でしょうか?
心理学者のフロイト博士の話しになりますが、人間の人格を形成する最も重要な要素が「父母との関係」であると分析しています。特に異性の親との「性関係」が、最も子供の人格に影響を与えると言います。親と子との間に性関係は基本的にないため、ここでは親と子の「愛情関係」だと解釈できます。
では、もともと夫婦となることを予定されて創造されたアダムとイブが「木の実を取って食べる」、すなわち夫婦の関係を結ぶことが、なぜ罪の根となり原罪となったのでしょうか?
その謎を解くカギは、エデンの園に登場する「言葉をしゃべるヘビ」にあります。言葉をしゃべるヘビは現実には存在しないため、これも何かを象徴するものと解釈できます。
神の天地創造が終わった時点で言葉を話すことができる存在は、「神」「人間」「天使」の3つしかいません。ですので、ヘビの正体は天使であり、天使がイブと堕落をして、堕落をした天使がヘビ、もしくは悪魔に変わってしまったと考察されます。
では、ヘビとイブが何をして堕落をしたのかというと、「ヘビがエバを誘惑した」「食べた」「イチジクの葉で下部を隠した」とありますので、当然、不倫の関係を結んで堕落をしたと言えます。なぜ不倫であるかというと、神はイブの本来の配偶者をアダムと決めて創造したからです。
ヘビと象徴される悪魔(堕落した天使)と禁断の愛の関係を結んだイブは悪魔の妻となり、悪魔の妻となった状態でアダムとの関係を結んだため人間の堕落が決定的になりました。
人間の堕落というのは具体的に何かというと、人間と神との関係が切れてしまうことです。ですので、善悪を知る木の実を食べて知恵を得たと聖書には書かれていますが、神から天使を通して与えられる知恵が途切れてしまったために、人間は無知な原始人になってしまいました。アダムが重労働をしないといけないことや、イブが出産のひどい苦しみを受ける、という神の言葉は、人間が神の知恵を失ってしまったことを表しています。
堕落によってアダムとイブの愛が壊れてしまったため、その愛の実である子供のカインが、神の愛を多く受けたアベルに嫉妬をして、野原でアベルを殺害してしまいます。これは不全機能家庭で育った子供が心理的に不安定になり、大人になって犯罪者になってしまうという構造と全く同じものです。これが、聖書の創世記に書かれている人間の罪の根の本質となります。
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