極端な例ですが人間の生き方を2つに分けると「自分のために生きる」と「他者のために生きる」になります。さまざまな論議のある分け方ではあり、当たり前ですが「100%自分のためだけ」に生きるている人はいませんし、「100%他者のためだけ」に生きている人はおらず、ざっくりと「自己中心的な人」「利他主義の人」の話になります。
人間の成長という面で考えると、子供は「自己中心的」であり、大人は「利他主義」であると一般的に考えられています。特に子供は自己中心的であるべきであり、不自然に他者に気を使っていたりすると要注意です。そういう子供は自分自身を十分に成長させることができきず、大人になってから生きずらさに悩むケースが多くあります。子供は本来、未成熟のため「自分のことだけで精一杯」で当たり前なので「自己中心的」で良いのですが、しかし、自己中心である目的は早く十分に成長をして、将来多くの他者のために貢献できる大人になるためであると言えます。
人は20歳くらいになると成人をして大人といわれますが、確かに体は大きくなって人間として成長の完成をしますが、果たしてそれだけで大人になったということができるのでしょうか?現在は結婚率が下がってしまって当てはまらなくなってしまいましたが、ひと昔前までは大人というとほとんどが誰かの「親」であり、「大人=親」というのが普通のイメージでした。親になると分かるのですが、例えば自分の子供が泣いていたりすると、親はいったんは自分のことは全て置いておいて、優先的に子供の面倒を見ようとします。つまり親というのは子供から見ると「利他主義」の象徴であり、そして、それはそのまま世の中のイメージであったために、「大人=利他主義」というのが一般的でした。ですので、人は30歳や40歳になって、もし他人の気持ちや立場というものが分からず、どこまでも自分を中心として言動をしていると、「あの人は体は大人なのに心は子供のままだ!」と批判される風潮があります。
人間は根底的に「愛されたい」「認められたい」という強い欲求を持っていますが、「誰かの役に立っている」時に他者からの評価を得て、その欲求が満たされていきます。私たちがスマートフォンを方見放さず持ち歩き、大切にしていますが、それは私たちの生活に絶対に無くてはならないくらい役立つものだからです。人は確かに生きているだけでかけがえのない価値がある存在ですが、「自分のため」だけに生きているならばそれほどの価値はなく、自分以外の「他者」に関心を持ち、誰かのために生きようとしたときに尊い存在とされ、「人生の価値」は始まります。
他者を愛する第一歩は「関心を持つ」ことです。人は誰しも共感され、称賛され、励まされ、喜ばされたいと心から願っています。子供のころに自分を大切にしていたように、大人になってからは自分を大切にしながらも、それと同じように他人を大切にできる人が「本当の大人」であると認められます。