死後の世界があるかないかという疑問は、永遠に解けない謎の一つですが、もしあったとするならば、私たちの人生観が大きく変わるきっかけになります。死後の世界が存在すれば、当然ですが死後の世界の生活も存在するはずですが、それがどのようなものか、スピリチュアルから霊界の真実について説明します。
仏教では人が亡くなり臨終を迎えてから日数のカウントを始めますが、49日という節目をとても重要視します。なぜかというと、人が死んでから40日くらいの期間をかけて、人の魂はどういう霊界にいくのか自分で決定するからです。
死後の世界にいくと例えばエンマ大王がいたり、裁判所のような場所で天国にいくのか地獄にいくのかを決定されるというイメージがあります。しかし、スピリチュアルでは、人は自分のことは自分が一番よくわかっているので、誰から指示をされなくても、自分が天国にふさわしいか、地獄がふさわしいのかを自分で決定すると考えます。それが霊界の真実です。
天国というのは生前に利他愛に生きた人たちの魂が集まる場所であるので、例えば生前に自己中心を貫き、自分の欲望を満たすことを第一としてきた人は、もし天国に足を踏み入れると「不自由さ」を感じてしまいます。そして、自分の価値観が天国の価値観に合わないことを感じた魂は、自らがもっと暗い適度な自己中心性を持った魂が集まる場所を探して、その霊界に留まるようになります。
スピリチュアルでは魂の存在を強調しますが、死後の世界だけに魂があるのではなく、生前のこの世でも魂は存在し、影響を与えていると考えます。つまり魂が住む「霊界」というのは、この世とあの世にまたがって存在する世界であると見ます。そのような観点から、死後の世界の生活を考える材料として、いま私たちが生きているこの世の世界の生活がヒントになります。
例えばインターネットやSNSの世界は霊界の世界に非常に近いものがあると言われています。魂の世界では「心」が行動の原動力になるため、「会いたい!」と思えば会うことができ、「食べたい!」「寝たい!」と思えばその瞬間にそうすることができます。なぜ瞬間的にそう実現するのかというと、死後の世界では時間と空間の制限がなくなるからです。
死後の世界の生活を始めた魂は、はじめは肉体の記憶が残っているために習慣的に食べたり、眠ったりします。しかし、肉体の習慣を行っても意味がないことをだんだんと悟っていき、魂でできる行動を始めるようになります。そうすると「会いたい!」や「知りたい!」などの心の欲求を中心に行動を始めるのですが、インターネットやSNSを利用すると知りたいことをすぐに知ることができ、会いたい人とすぐに連絡をすることができるために、霊界の生活に近いものがあることを感じます。
死後の世界の生活は、無限大に近い数の小規模なコミュニティーで成り立っています。そのコミュニティーは驚くほど自分と考えの似た魂が集まって生活しています。そういう意味では自分の気に入ったYouTuberのチャンネルに集まって日々の生活を送る私たちの生活に少し似ています。
また、「自分の魂の水準を上げる」という大きな霊界生活での目標があるため、霊界からもう一度地上に降臨して、自分の子孫などの関係が深い人を助ける魂も多くいます。いわゆる「先祖の守護霊」などがそれにあたります。その先祖の魂が協助をして子孫が善の行いをすると、その家系の魂の水準が上がります。この地上での「お金」に相当するものが霊界では「愛」であるために、生前の世界で愛をはぐくむことができなかった魂は、地上で子孫をたすけ、子孫の魂が成長できるように必死に努力をしています。
近年の死後の世界の生活の大きな問題として、自分が生きている時に「死後の世界の生活」について一瞬も考えたことがないため、自分が死んだということにも気が付かず、生前と似たような生活を永遠に繰り返す魂が増えていることです。残念ながら現代社会の「朝起きて、学校や会社に行き、帰って寝る」という生活が苦痛であると感じる人が多く、それが死後の世界でも永遠に繰り返されるとするならば、まさにそれが「地獄」といえます。生前の自分の経験や考え方が基本的に死後の世界の生活の材料になるため、時には霊界にも関心をもち、今の生活を点検することも悪くないでしょう。
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