「神がいるなら、なぜこの世界にはこんなにも苦しみがあるのか」
「なぜ神は、祈っても助けてくれないのか」
人生で一度は、誰もが抱く問いではないでしょうか。
事故、病気、戦争、裏切り、不条理な出来事。
もし神が本当に存在するなら、なぜそれを止めないのか――。
この記事では、この重く、しかし人類が何千年も考え続けてきた問いに対して、
“神は人を救わない存在なのか”という疑問を、
「愛」「自由」「人生の意味」という視点から考えていきます。
神は人間を「狂うほどに」愛している
まず最初に押さえておきたいのは、
神は人間を無関心で見ている存在ではないという前提です。
神は、人間の「創造主」であるだけでなく、
親としての存在であると考えられます。
親が我が子を愛するように、
それ以上に、神は人間を深く、激しく、狂おしいほどに愛している。
では、なぜその愛があるのに、
人間を助けないように見えるのでしょうか。
神が人間に「干渉しない」理由
その答えの鍵は、自由にあります。
神は、人間に「行動の自由」「選択の自由」を与えました。
それは、単なる放任ではありません。
もし神が、
- 危険なことをしそうになったら即座に止める
- 間違った選択をする前に強制的に修正する
- 苦しみそうになったら強制的に救う
そんな世界だったらどうでしょうか。
それは本当に「生きている」と言えるでしょうか。
自由がない世界では、
愛も、成長も、創造性も存在しません。
神は、人間を操り人形としてではなく、
自ら考え、選び、成長する存在として創ったのです。
愛を中心に設計された「世界のシステム」
神はこの世界を、偶然や混乱で創ったわけではありません。
自然界を見てください。
- 四季の循環
- 生態系のバランス
- 物理法則の精密さ
そこには、法則性と調和があります。
この世界は、
愛を中心とした、完全に調和の取れたシステムとして設計されました。
そして、そのシステムの中で人間は生きています。
だからこそ、
人間の行動一つひとつが、世界に影響を与える。
神がそこに安易に介入すれば、
このシステムそのものが壊れてしまうのです。
人間は「魂を鍛えるため」に生きている
人生は、ただ幸せになるためだけのものではありません。
この世界で人間は、
- 悩み
- 迷い
- 失敗し
- 苦しみ
それらを通して、魂を鍛えています。
なぜなら、人間はこの一生で終わる存在ではないからです。
人間は、
死後も続く永遠の世界を生きる存在として創られました。
その永遠の世界で、
- 真の愛を理解し
- 神の喜びを共有し
- 創造性を発揮し続ける存在
それが、人間の本来の姿です。
神が「救えない」のではなく「救わない」理由
ここで重要なのは、
神が人間を救えないのではなく、あえて救わないという点です。
それは、冷酷だからではありません。
むしろ逆です。
神が干渉しないのは、
- 人間が自分で考えるため
- 自分で選び取るため
- 自分の人生を生き抜くため
そして、
神の子供として、神の創造性を受け継ぐ存在になるためです。
もし神がすべてを代わりに解決してしまったら、
人間は永遠に成長できません。
苦しみは「見捨てられた証拠」ではない
人生の苦しみは、
神に見捨てられた証拠ではありません。
それはむしろ、
神が人間を信頼している証です。
「あなたなら乗り越えられる」
「あなたには成長する力がある」
そう信じているからこそ、
神は人間に人生を委ねているのです。
人生をどう生きるかが、すべてを決める
神は、
「どう生きろ」と強制しません。
しかし、
「どう生きるか」は、すべて見守っています。
愛を選ぶのか
憎しみを選ぶのか
絶望を選ぶのか
希望を選ぶのか
その一つひとつが、
この人生だけでなく、
死後の世界での在り方を形づくっていきます。
まとめ:神は人を見捨てていない
神は、人間を救わない存在ではありません。
神は、
- 人間を狂うほど愛し
- 自由を与え
- 永遠の喜びを共に創造するために
- この世界というシステムを設計した
だからこそ、
人間の人生に直接干渉しないのです。
それは、
人間に最高の幸せを与えるための、究極の愛の形なのかもしれません。
人生は、試されているのではありません。
信頼されているのです。

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